幼児に語りかける「ことばの力」
「KY(空気を読まない、読めない、察しが悪い)」ということばが、最近、よく使われています。主語を抜いて話す表現が多く、「あれ」「これ」などの指示語を多用する日本語は、英語に比べれば、非論理的な表現が多く、それこそ「空気を読まない」と、理解がしにくいことばです。「男は黙っているほうが、男らしい」とか、「女性も、おしとやかで、口数の少ない人がいい」などという文化も、こういうところから来ているのかもしれません。「無駄な議論」「おしゃべり」という表現にあるように、ことばを尽くして話し合ったり、コミュニケーションを多くとろうとすることがマイナスなイメージにとられるのも、似ています。「沈黙は金」ということでしょうか。
ただ、こどもと接する時には、どうでしょう? これからことばを獲得しようとしている幼児と対しているときには、ことばを教える意味もあるので、ことばをかけて、指し示して、教える必要がありますね。でも、これも、あまりに熱心すぎて、こどもが辟易するほどに、ことばのシャワーをかけるのは、いかがでしょうか。ましてや、大人が幼児語を使うのは、すてきに見えない場合もあるかもしれません。
日々の暮らしのなかで、周りの大人が発することばを、こどもたちは、模倣して学びます。美しい日本語を、多く聞かせてあげいたいものです。そして、穏やかに、こどもが聞く状態を作ってあげてから、具体的にわかりやすく、ゆっくりと話してあげたいと思っています。
たとえば、「静かにしなさい」と言う前に、こどもたちにとって、静かにすると、どんないいことがあるのか、何のために静かにするのか、を知らせることができれば、強制的に静かにさせられるのではなく、主体的に静かにしようと動けるのではないでしょうか。「これから、おもしろいお話をしますよ。お話を聞きたい人はいますか?」とか、「そろそろ、おやつの準備をしませんか?」とか。こどものモチベーションに訴えることばをかけていきたいと、日々思っています。
また、幼いこどもは、時に危険なことを危険とわからずに、やりたがるものです。平均台のような細い塀の上を歩きたがったり。でも、これを見つけて「あぶない~~~!!」と叫ぶような感情的なことばを発するのは、よけい危ない状況を作ってしまっているように思います。あわてたこどもは、このことばによって、しなくてもよい怪我をしてしまいかねません。ここは、お腹に力を入れて落ち着いて「気をつけてね。注意しながらね」と静かに威厳のある声をかけて、そばに寄り添って、いつでも手を差し伸べられるようにしてあげたいと思います。このような状況は、こどもの勇気や器用に平均台を走りぬける運動能力の発達には、マイナスではないはずなので。
よくあるのは、こどもがうっかり「飲み物をこぼしてしまう」時に、「ああ~~!」と大きな声をかけてしまうこと。つい、出てしまいますよね。でも、ちょっと待ってください。こぼすようなところに飲み物を置いている時に、声をかけてあげられなかったのは、大人の責任ではないかしら。だとしたら、「ああ~~!」の声のなかに、こどもを責める気持ちをこめずに、「自分がこぼさせちゃった!」の気持ちがこめられているはず。それであれば、よいのですが。こぼすような「うっかり」は、こどもに限らずあるのに、「こどもだから、教えなければ」と、よけいに怒られているような気がすることもあります。大人がこぼしても、そんなに「ああ~~!」とは、言われないのではないかしら。むしろ、周りは、「だいじょうぶですよ」と気をつかってくださる(笑)。こどもがこぼしても、大人がこぼしても、等しく、その状況に応じて、静かに「拭きましょうね」と後始末ができれば、よいな、と思います。過失をことさらに広げることなく、残念なことだけど、仕方なかったこととして、さらりと流したいと。おそらく、こどもは、こぼしちゃった「びっくり」と「なくなってしまった悲しみ」とで、充分反省できていると思うのです。
テレビのCMなどで、清潔、除菌といったことが、わたしがこどもの頃よりも、多くなったような気がしています。清潔の概念は、人によって、その度合いは、いろいろです。「きたない」ことを排除しようとすることは、ときに、行き過ぎると、排他的な苦しさもはらんでいるように感じます。自分自身も生きている生物として、菌を内包しているわけですし、大きくとらえれば、自然の一部として、菌も、虫も、動物も、わたしも在るわけです。不用意に「きたない」ということばは、日常のなかで使いたくないなぁと思います。「きたないから、きれいにしましょう」と言うよりも、「洗いましょう」「さっぱりしましょう」のほうが、しっくりきます。
ことばは、人を励ますことができますし、傷つけることもあります。また、意図とは違った内容が伝わってしまうこともあります。美しく、正しいことばが話せるのはもちろんですが、こどもと関わる大人として、ことばが持つ力を、今一度、考えてみる時間を大切にしたいと思っています。
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