当たり前のことを、当たり前に

 「お受験」という言葉は、首都圏特有の単語かもしれません。

そこには、幼稚園や小学校に入るために、幼い子らが母親に付き添われて、遊ぶ時間を削ってお勉強を強いられているイメージがあるように思います。確かに、狭き門をくぐろうとすれば、努力は必要です。

 けれど、その努力は、幼い子らにストレスをかけるようなもので、よいはずはありません。そんなことをすれば、まだまだまっすぐな表現をしているこどもの表情に陰を落とすことでしょう。それは、こどもを見る目を養っている試験官の先生には、見抜かれてしまうはずです。

 立場を替えて考えてみましょう。学校側は、どんな生徒をほしいのか? 頭の回転が速い生徒? 運動能力の高い生徒? 絵がとてもうまい生徒? 

 きっとそれは、能力が高いだけの生徒では、ないはずです。特に幼稚園や小学校の学級運営を考えれば、楽しく遊べる生徒、お友達と協力できる生徒、失敗した時に素直に謝れる生徒、うそをつかない生徒。などなど、学校方針に掲出されている内容がそのものであると思います。そう考えれば、当たり前のことが当たり前にできるこどもが望まれていることに気がつくと思います。

 ですが、この「当たり前」というのは、あくまで、大人の「当たり前」。「当たり前」の内容にあたる、あいさつができる、素直に謝れる、だれとでも仲良くできる、という社会性を身につけるのには、それなりの社会経験が必要です。気持ちよく、お友達や周りの人と過ごすことができるためには、自分のわがままを押し通すことができないことを知ったり、相手の立場になって考えたり、感じたり。それを、野良犬のように自分で傷つきながら覚えるのではなく、周りの大人に守られながら、教えてもらいながら、少しずつ学ぶ機会が必要です。そして何より、それを学ぼうとする姿勢、相手を思いやるだけの心の余裕がある満たされた状態が、幼いこどもには、必要だと感じます。

 幼いこどもにとって、自分のわがままを通すことよりも、相手と仲良く遊べることを選ぶようになるには、それなりの発達のための時間と経験が必要です。1歳2歳の段階でそれを押し付けても、まだまだ自分のことで精いっぱいで、とても受け止められません。早い子で2歳の後半から、徐々に目覚めていきます。それを待つのも周囲の大人の知恵。そのこどもの段階により沿った、声のかけかたが大切です。

 「お受験」で見られる、お友達との関わり方は、決して不自然なことではなく、「ああ、このこは、お友達と仲良く遊べるんだな」とか「困っているお友達を助けてあげたいという気持ちが育っているんだな」という「当たり前」ができているかのチェックだと感じています。

 長い人生を考えれば、お友達とうまく関われない人とも関わる機会があるのだから、上手に関われるお友達に囲まれるのは、むしろマイナスだとお考えの方もいらっしゃるでしょう。ただ、どちらにも一長一短はあるもので、協力しあえるお友達とともに作り上げる遊びや、創作物、活動の中で得られる満足感、達成感を幼いうちにしっかりと味わうというのは、他人に対する信頼の気持ちや、ひとりでは成しえないことができる感動をもてることにつながり、一生の財産になるように思うのです。

 「お受験」は、学ぶ途上でのひとつのきっかけであり、そのきっかけを生かす教育もあれば、それに代わる良質な教育もあるはずです。当教室では、「お受験」のよい部分を取り入れながら、受験を視野に入れているご家庭と、そうではないご家庭との両方のおこさまが通われています。それは、幼児期に身につけておくと良きことは、受験をするしないに関係なく、とても大切なことととらえていらっしゃるご家族様とご縁をいただいているからにほかなりません。

Private Infant Education

元気にはつらつとお友だちと遊べる子、 集中力があり、好奇心が旺盛な子、 生活力のある自立した子。 そんな子どもに育てていくための、 ひとりひとり異なる発達と成長の幼児に寄り添った個別指導を行っております。 幼児教室に行く前に、ご家庭でご準備しておくとよいこと、 難関小学校に通うご家庭がなさっていることをていねいにお伝えしています。 「わかりやすいから楽しい」「楽しいから身につく」レッスンです。

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