お子さんは、悲観的? それとも楽観的?

 オクスフォード大学のエレーヌ・フォックス教授による「悲観脳と楽観脳」についての講義を聞きました。こどもには、できるなら楽観的であってほしい、あまりクヨクヨせずに果敢にものごとにチャレンジしてほしいと願うところがあり、どうしたら、楽観的になるのだろう?という個人的な興味があったからです。

 イギリスでのあるエピソードが紹介されました。非常に楽観的な娘と悲観的な娘をもつお父さんの話です。クリスマスに、実験をしてみました。楽観的な娘の部屋には、馬糞をまき散らし、悲観的な娘の部屋には、本人のほしがっていた電子端末、タブレットやゲーム機器、携帯電話などを置いておいたのです。翌朝、そのお父さんは、しょげて泣いている悲観的な娘に「どうしたんだい? 欲しかったものをプレゼントしてもらったのに」と尋ねると「こんなにたくさんあって、どれも電池の形が違うし、説明書を読まなければならない」と嘆いている。一方、馬糞だらけの部屋の楽観的な娘は、にこにこと笑って喜んでいるので「こんなに馬糞だらけで、なんで喜んでいるんだい?」と尋ねると、その娘はキラキラした目で「だって、このおうちに馬がいるのよ!! 素敵だわ」と答えたというのです。さて、どちらの娘さんが魅力的でしょうか? 楽観的すぎるのも心配ですし、悲観的なのは、リスク管理の考えができるととらえることも、できそうですが。

 エレーヌ教授は、人が悲観的になるのも、楽観的になるのも、それぞれの経験や考え方に対して、認知バイアスというゆがみが生じることについての研究の第一人者です。

なぜ、人は、悲観的だったり、楽観的だったりするのか? 

研究のなかで明確になってきているのは、危険を察知したり、自己防衛のための悲観的な考え方のほうが、強めに感受されるようにできていて、ものごとの楽しい側面をとらえる楽観的な考えは、やや弱めであるということ。

つまり、元来、恐怖を回避するため悲観的に傾きやすい。平たく言えば、怖がりで慎重な状態から、楽観的な勇気のある状態に育てていくためには、多くの楽しいこと、心地よいこと、安心できる環境が必要。ものごとのとらえ方をポジティブに向けていく、日々のことばのかけ方がとても重要なのです。

イギリスつながりでいえば、シェイクスピアは「ものの良し

悪しは、考え方ひとつで決まる」と「ハムレット」で書いているように、客観的事実よりも、「本人にとってそれがどういうことなのか?」が、とても大切です。

こどもにとって、「コップの水をこぼした」のは、「水の様子を知る実験」だったかもしれないし、「水に触りたい欲求」だったのかもしれない。けれど、大人の目線で、「部屋をよごす」「服を濡らす」行為と決めつけて叱責するのは、どうでしょうか。

長い人生のスタート期間は、ものごとのとらえ方の根っこを育てる時間です。こどもの行動を大人の論理で測るのではなく、こどもの意図を想像しながら、こうしたかったのかな? これを確かめたかったのかな?と寄り添うことで、こどもにとっての日常がわくわくするような驚きや喜びに満ちてほしいと願います。

そもそも発達しやすい悲観的なものの見方ではなく、わくわくしながら学ぶ楽観主義のこどもを育てていきたいと考えています。

Private Infant Education

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